最近他人を助けるキャパシティの限界を感じている。
というのも、周りにいる人々が「誰かのゴタゴタに関わりたくない」と「誰かに助けて欲しい」の二極化になっている。どちらでもない人間がいない。
後者は一度助けてしまうと「もっと助けてくれ!あなたはわたしを助けるための人だ!」とこちらの人間性を無視して底なし沼からズルズルと引っ張ってくるのを感じる。
さりとて前者が後者の性質を持っていないかというとそうでもなく、「このくらいはどうにかしてくれるでしょ。いつも人を助けているんだからさ」と実利的かつドライな助けを要求してくることがまあまあある。
ゆえにどちらの性質をもっていたとて、ガンガン個人の時間や精神の余白を削ってくる。
しかしこの人たちを一時的に助けた末に「あなたは大丈夫?」と言ってもらえることはほとんど奇跡に近くて、あったとしても「大丈夫?それすごくわかるよ。それよりもさあ、助けてほしいんだけど」と見事に導入に使いつつ無限のスーパーマンに助けを乞うてくる。なんかこういうの疲れました。
己の中の欲望に忠実に生きるとわたしもこういうゾンビたちと一緒に「タスケテ……」と助けを乞うてみたいところはある。けれども、それをしても強烈な借りとなってしまいもっと助けなければいけなくなったり彼らを疲れさせる要因になったりして意味がない。
今のところの最適解はひたすら沈黙を守ることでこれは回復するわけではなくて、ひたすら自分が受けたダメージを少なくしつつ少しは自然治癒してくれたらいいなあと思うくらいのものだ。
まあでも全快する訳もなく、信頼(人間のカスタマーサービスになることを信頼と呼ぶのであれば。)をゆっくりゆっくり損ねることになるとも思う。
大人になってから周りが「助けてくれ〜」と呻くモンスターだらけになったのは、きっと子供の頃はカスタマーサービスを仕事の一面として担う大人がいたからだろうと思う。親だったり、先生だったり。
クレーマーとかモンスターペアレントみたいな人々も根っこに「助けてくれ〜」があって、しかし大人なので屁理屈をこねてどうにか目の前の人間が唐突に自分そのものを救ってくれはしないだろうかと思っている側面を強く感じる。
ふと思ったけど、信仰ってこの無限増殖するゾンビをある程度抑制する良いシステムだったかもしれんね。カスタマーサービスは神であり、確実な救いは決まった時にあるので待合室でおりこうにして待っていてくださいねというシステム。
それならば宗教を信仰してみようかねと思ったけど、ずっと幸せな極楽浄土に興味ないんだよなあ。どちらかというとゾンビがいなくなった世界で可もなく不可もなくタラタラ生きて思いがけない宝物を雑貨屋なんかで時々見つけて射幸心を刺激される程度がちょうどいい。別に永遠の命とかいらないし、死ぬ時はめちゃくちゃ痛かったり辛くても1回で済むなら耐えるし。
今みたいにゾンビにたかられながらうっすらずっと辛いのは終わりが見えなくてすでに地獄の業火に焼かれてるのとあんまり変わんない気がします。
なんかこう、「あなたによって生涯わたしの不幸を全てなくしてもらいたい!」っていうんじゃなくてゾンビを気にせずに生きたいんだけどどうしたらいいんですかね。
もしかしてゾンビにたかられてるのわたしだけですかね。そんなことないですよね。