読書中断𝐓𝐮𝐞𝐬𝐝𝐚𝐲

「最高」を享受できないことに気付いた。

 

何を言ってんのかしらと思うだろうけども、そうだな、よく「最悪の場面で逃げ出したくなってしまう」みたいなやつあるじゃないですか。

これ以上の最悪を味わいたくなくて逃げてしまうみたいな感情だと思うんですけど、あれがわたしの場合「幸せ」や「楽しい」にも適用されてしまうことに気付いたんです。

 

昔からだったかもしれない。

会話で面白いことが続くとこの先どうなるのかわからなくてわざと全く面白くなくしてしまったり、興味を持たれているしこちらとしても興味がありますという人間との関係構築が順調な時にわざと「ケツってなんでふたつなんだろうね。みっつになったらどうする?」とか言ってしまったり、学校でクソ真面目と思われていたことに気付いてわざと先生に「ウンチって英語でなんていうんですか?」と尋ねてしまったり(例えは一部表現を変えていますが本当にやった)。

何かが継続し続けると終わりがあるのは確かで、状態が継続し続けて雪だるま式にデカくなっていくと怖くて、そんならこちらからぶっちぎってやろうと思う。そんなかんじ。

 

このところそういうのが顕著になってきて、好きな曲はまるまる一曲を継続して聴くことなくぶっちぎるし、好きな本は面白くなってきたら途中で読むのをやめるし、この人面白いなと思った人には突然素っ気なくしてしまう。お行儀が悪いが、家だとおいしいと思った食べ物を、おいしいと認識して少ししたらそのまま残して翌日食べるみたいなこともある。ちなみに今はまさに面白い本を途中で放り出した所である。

この部分について、へそ曲がりとかいじわるとか天邪鬼などと指摘されることが多いがいたずら感覚でやっているわけではなくてキャパシティオーバーゆえに離脱したいという側面が強い気がしている。

それか単純に意識が散漫なのかもしれない。いや、意識が散漫ゆえにキャパシティオーバーしてると捉える方が自然か。

 

Twitterでもちらっと書いたけど、もし自分の見てくれが自分にとって最高だった場合それに耐えきれず爆発四散してしまいそうな気がしている。

なんだっけ、「満ちれば欠くる」という言葉があるじゃないですか。完璧なものを作ってしまったらあとは壊れていくだけだみたいな意味と認識してるんですけど、多分そんなのが怖いんです。

「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」なんていうけど満月も時期が過ぎればあっけなく欠けるし、藤原道長も天下統一成し得てないですからね。まったくもう!

 

なんかそういうことを思ったらさ、死んだ後ってどうなるんだろうとか思っちゃうよ。もし仮に意識が残ってたら最悪すぎる。

例えばわたしがある日突然、完璧顔面最高人間になって「ア゛!無理!死!」と思って爆発四散してこの世からいなくなると致しましょう。そしたら地獄または天国では安定して辛いor安定して幸せになるわけじゃないですか。もしかしたら安定してふつうもあるかもしれないけど。

いずれにせよ安定し続けてる状態から逃げる道なくないですか!?転生をひたすら待つんですかね!?嫌すぎる!!

5億年ボタンとかも辛い!!!仮に高級寝台列車のVIP席みたいな場所で欲しいものは望めば手に入る状態だったとしても無理すぎる。

 

ざ、座禅とか始めようかな。有限の無を味わうことで同じ状態が続くことに慣れたりしていきたいよね。今のままではいくらなんでも生きづらすぎるので。