アサーションやろうよ!!!

「食べ物がその人の体をつくる」と時々言うけれども、それと同じで「経験がその人の精神をつくる」と思う。

 

大学生の頃に学費を捻出するためにいわゆる夜の街で水商売を少しやっていたのだけど、別にわたし自体はずば抜けて綺麗だったりかわいかったりスタイルが良かったりはしない。なのであの煌びやかな世界で生きていくのにものすごく苦労した。

飲み屋にくるお客さんというのは基本的に高い金を払ってまでハメを外しにくるもんだから、どこかにえげつないヤバさを持っている。ちょっとした態度に一般的な接客業にいるようなクレーマーの一部を見ることもよくある。

その中で大体の本質は「甘やかしてほしい」と望んでいることがほとんどだと思った。ヤバさも受け止めてよ、みたいな。

そういうのを会話から見極めていたら別にふつうの人間だけど結果的にそこそこの地位を得ていたことがある。

 

例えばこの「甘やかされたい」は「たまには甘やかされたい」という短期的なものなのか「ここに来れば安心して甘やかしてもらえるぞという場所がほしい」という長期的なものなのか。

また、その簡易的な甘やかしは「信頼感がほしい」なのか「自分だけを見ていてほしい独占欲」なのか「ひたすら安心感がほしい」なのかとか。

それと「共有」「尊敬」「仲間意識」のどれでそれらを摂取したいかというのもある。

 

そんなのを会話をしながら探っていく。大体30分くらいで強い要望(指名とかボトル入れるとか)がなければ別の女の人と変えられてしまうので最初15分でなんとなく傾向を見て5分で探り、残りの10分で「あなたのことをわたしだけがわかっていますよ。このまま帰すには惜しいでしょう。」と核心をついていくというようなかんじ。

 

で、ヤ〇ザとかどうみてもマルチでしょとか下ネタしか言わないおじさんとか飲み屋に来ておいて一言も喋らないお客さんなどを相手しつつ、昼間も働いていたのでふとその話し方をやってみたら「あれ?別にこの探り方で普通のお客さんのこともわかるな」と思ったので水商売以外で接する色んな人がわたしに求めるもの(わたしに甘やかして欲しい部分)について改めて整理した。

 

大体は

・才能がある人間を排出したという証が欲しい

・誰でもいいけど辛い自分を認めて愛してほしい

win-winの関係でありたい(自分の方が得をした状態でいたいけど、客観的に見てそういう証拠を残したくない)

・関係性が薄く、期待するものもないので無難な関係でいたい

・褒められたい、興味を持たれたいがために会話を壁打ちのように仕掛けてくるタイプ

みたいなところだ。分類が済むととてもいい意味で諦めがつく。相手が不満そうにしていたら欲求に沿うリアクションをしたらいいのだから、他人からの印象を必要以上に不安がることがなくなった。

基本的にわたしはふざけているのだけど、自分の心にあそびを作るためというのもあるが真面目に接している中でいきなり「お前の欲求どストライク!」みたいなリアクションを仕掛けるとあからさま過ぎるので、たまたま冴えてただけですよという体を取るためでもある。

 

そんなのはどうでもよくてさ。

どうせなら他人のことをこういう風に分類して楽になりたくない?という提案なんだよね。知りたくない人はもう読まなくていいです。

 

まずは「知りたい他人を無限に喋らせるフェーズをつくる」ことと、話の舵を取るのは自分という状態をつくることから始まる。

「そういえば今までサシで話すことあまりなかったですよね」とか「この前〇〇さんの話になったけどわたし全然知らないなあと思って」とか、ちょっとした変わり種だと「今朝飲み物これとこれで迷って両方買ってしまったんですけどこんなに飲めるわけないので好きな方飲んでください!というか迷った時って何を決定打にしたらいいと思います?」とか。

そんなんを話すとあなたに興味のベクトルが向いていますよというのが結構無意識に近いところに差し込めるので勝手に喋ってくれます。

その会話を全部丹念に聞き取る必要はなくて、一文の中のひと単語を「へぇ〜、〇〇ですか!あんまり聞いたことないなそれは。」とか要約して「△△ってことですか?え?あー、それなら□□って言う方が近いですかね」と考え方が合っているのか確かめつつ話を意欲的に聞いていますよという姿勢をとっていればずっと喋っています。

こういうのをアサーションって言うらしいですよ。昔「アサーション上手いね!」って言われて知りました。

 

で、ずっと喋らせたままというのも別につまらないので「あー。だから〇〇に詳しいんですね。初めて知ったなあ。」とかですこーし話の方向を曲げたりする。

色々曲げていると、なんとなく「話したくなさそうなこと」だったり「特にわたしにしたい話なんだな」というのが見えてくるはずです。というかそういうのを気にして聞いてみてほしい。

話したくなさそうなことはしれっとまた話を曲げればいいし、自分に話したそうなことは「よく言ってますもんね。めっちゃ覚えてます。」などと言えばマイナスな印象にもならないよ。

 

そんなふうに何回か話しているとその人が「わざわざわたしに話したいと思うこと」が増えてきたりする。

その種類を分別することで相手が自分に期待することが大体わかるんですよ。

とはいえそうやって相手から話してきてくれる時点である程度親交の度合いが高まっているのでその人ひとりであればグングン仲良くなることも出来ます。しかし自分が嫌な期待のされ方をする人とわざわざ話す義理はないので、そこまでで別に距離を取ってそこそこの付き合いをしてもいいと思う。

しかし嫌いな人にでも一度やってみたら面白いですよ。「この人はわたしにこういうのを期待しているからそこが嫌いなんだな」とか「これ系の話しときゃ無難でしょ」というのがわかるので少し時間を無駄にしてもアサーションを試みた方が結果的に楽です。

あと「わたしは」ですが、ネチネチ嫌味言ってくる嫌いな人にこれを試みてみたら「仲良くない人間に優しくする義理もねぇから勝手にしてたけど、めっちゃ趣味合うことが発覚して大切にしてもらえるようになった」という例もあります。わたしがゲボほどメンタル沈んだ時も、その人がメンタルゲボになった時もお互い諌めたり励ましたりがバランス良くできて良かったです。

それと、嫌いな人でも放置しておいてほんの少し雰囲気が変わったなという事があればまたやるといいです。多分自分に求める種類の欲求が変わっているので、自分にとって辛くないなという欲求に変わった時に交友を深めるといい関係が作れます。

 

機械的だったとしてもそういうのが割とすんなり出来るようになると結構誰とでも仲良くなれるもんです。

なので「マジでこの人わかんねえわ」という人以外とはめちゃくちゃ距離が近いです。上司であれ、どこから来たのかわからんけどよく見るお客さんであれ、大体はこのような解析が少しは出来ているので地雷を踏まない限りの距離でべらぼうに近づいてるみたいなかんじ。

とにかく「話させて」「傾向を掴む」ことです。

これの発展としては会話としてはおかしくないけど変な言葉選びだなというのがあれば、その時に出てきた言葉をわざわざ使う場面をめっちゃシミュレーションしたりします。それで考え方の偏りがわかったりもするので地雷回避の精度がより上がったりするよ。

 

なんかこういうのをさあ、デモンストレーションとしてやりたいけど前に少しやってみたら「えっこわ!占いじゃん!?」ってなったので披露することは稀です。

まあでも面白いから皆やんなよ。人間の精神って思ったよりメカメカしくてバグだらけだなと気付けるし、なんか凄い人の「なんか」の部分にも気付けるよ。