他人に刺さる読書感想文を書くには

日頃から好きな本に陽が当たって欲しいと思っているのでよくPOPを書く。

 

意外と当書店で自主的にPOPを書く人はいなくて、面白かった本を整然とおすすめコーナーに置いているだけだったりして、「なぜおすすめなのか」とか「どういう人に楽しんでもらえると思って置いたのか」とかわからないと見てる人はつまんなくない?と思ってPOPを書く布教をしている。

POP書いてみて!感想でもいいよ!とお願いしてみると、「面白かったけどなんて書けばいいのかわからん」と言った答えが返ってくる。読書量に関わらずそういうことが結構多いのが意外だった。

 

その時々に読んだ作品を標本にする作業が「感想文」というやつだと思う。それをもっと尖らせたのがPOPという感覚だ。

感想文は大体原稿用紙で400字詰め原稿用紙4~5枚で出されることが多くて字数にすると1600~2000字程度。本当に苦手で無理やり読書感想文を書いていた人はあらすじをコピペして、Amazonレビューを引っ張ってきて…みたいに作っていたんじゃないだろうか。

まあ何もないところから「ハイ!感想をどうぞ!」と言われても難しいよね。

という訳で大きい分類と小さい分類に分けて読書感想文の作り方を説明しようと思う。その後でPOPの作り方を。なぜ頑なにPOPの作り方教えようとしてるかっていうと、本を誰かにプレゼントor貸す時に「こうだったから君に読んでほしい」と添えてあったら格別の1冊になるのでね。いつかそういう経験をしてほしいなと思って。

 

さて、本について書くには

【起】

・主人公はどういう人か

・主人公が序盤に会う主要キャラ(2~3人にとどめる)

【承】

・その人たちとの関係

・自分に近しいものはあるか。なければ逆になんで自分とは近くないと思うか。

【転】

・起の時点から何かがかわったな、という「何か」の動きを頑張って掴んで書く

・この時点で自分はこの先どうなると思ったか(ハラハラしすぎて正直読みたくなかった とかでもいい)

【結】

・どのように落ち着いたか。時々ここからまた読者に転を投げたまま終わる著者もいるので、それがあれば「自分はこうなったと思う」なども書く。

・著者はこの本をどういう人に読んでほしいと思って書いたと思うか。また、個人的にどういう人に薦めたいと思ったか。

(・ラストをあえて伏せておきたいならラストを読んでどう感じたから伏せておきたいのかを書く)

(・一番良かった一文があったらその箇所を感想文のシナリオになぞるように置く。なぜそれが良かったのかを自分にしかわかり得ないような極めて個人的な感想でいいので書く。)

 

こんなかんじでいい。6項目挙げたが、数文字で終わるものと200字くらい使うものなどがあってもいい。アンバランスさが感想文のいいスパイスになるからね。

あと、わたしが小学校の頃は読書感想文を書かされるといえば必ずその本を読んで「人生の見方が変わりました」とか「今度からこうしようと思いました」みたいな方向にしろという風潮があったのだが、そんな感動的にする必要はない。本当に人生変わったと思うならそれは貴重な経験だから書いた方がもちろん良いのだけど。

そもそも全部の本からそんなに感受していたら大変だ。家電の説明書を読んで明日からの生き方が変わり、風邪薬の注意書きを読んで感銘を受け、衣服の洗濯表示を見て涙ぐむ。そんなデリケートな人間になってしまう。いや、別にたまにそういうものを読んで感動しているならいいんだけど。日常的にそうなったらあまりに生きづらいよ。きっと。

 

で、POPを書くには?という部分にうつります。

その本を思い出した時に一番最初に頭に思い浮かんだ「ここだけは読んでほしい!」という箇所を軸に140字くらいでまとめる。むしろあらすじさえもいらないです。なぜって、大体の本には帯や裏表紙に完璧なあらすじが書いてあるからね。

 

例えば「この一文を読んでほしい!」みたいな作品だったら下記のようなかんじ。

「"なまぐさい"というのがペンギンの愛を表現する言葉である(ペンギンのペンギン/デニストラウト著・谷川俊太郎訳)」

そんな訳あるか!と思うけど、もしペンギンになれたらそういうものに愛を感じられるかもしれない。そう思うとちょっと哲学みたいなものを感じませんか?

とか。

あとは詩集とかでフワァ…と印象が残るような作品なら、

エッセイのような詩のようなふわふわした本(バームクーヘンでわたしは眠った/柳本々々)

詩集のコーナーにあったけれど、短い日記のような本。詩集なのか疑わしいのでちょっと読んでみてほしい。眠れない夜にうつらうつらしながら1ページずつ読むと寂しくなくなる気がする。

というかんじ。ニュアンス伝わるかな。

 

読書ってひとりでするのも楽しいけど、同じ本を読んでみて他人がどう思ったのか語るのは本当に面白い。

例えば夜中コンビニで買い物して帰ってくるまでの間に道ですれ違う人は大体思った方に避けるしさ、コンビニの店員さんはレジにいつ人がくるかアンテナ立てながら品出してたりしてさ、商品棚は妥協して買うかというくらいのスカスカ加減でさ、コンビニから出たら納品のトラックから想像通りの量の荷物が降ろされていてさ、こうやって複数の人間と接してもそんなに「はい!?」という突飛なことはないじゃない。

そんな大体同じ常識の枠で生きている人間なのに全く同じ文章を読んだ時に思う事ってかなり違うのよね。それってかなり不思議じゃない?

それだからこそ、「あのページのあのセリフさぁ…」「…!!!あれめちゃくちゃいいよね!!」と細かいディティールが噛み合ったときにものすごく嬉しくなるのよね。

あと、又吉がYouTubeで「どのようにその本を手に入れるか」から読書が始まってると言っていて、よくぞそれを言語化してくれたと思った(みんな又吉の「渦」というやつを見て欲しい)。本という均一な規格のものをどこでどのように手に入れてどこで読んだとか、読むのにどのくらいかかったかなんていうのはもうその人達固有のものだから本そのものも素晴らしいけどそういうのも軽んじてはいけないものだと思う。そして結構育った環境とか生活環境とかもその本を手に取る過程に関係していたりするので、仲良くなりたい人が読書家だったらひとまず一番好きな本を教えてもらうといいだろう。

 

読書ってひとりでしても全然いいんだけど、こんな風に近くの人間と共有すると本という無機質なものに生物みが出て面白いよ。

もちろん読書に限ったことではなく、家電の説明書や薬の注意書きや洗濯表示を誰かと共有してもいい。例えそれが面白くてもつまんなくても。ね。