沼田まほかるの「猫鳴り」読了

猫鳴り なんていうタイトルの本買うんだから猫好きなんだねとか思うかもしれないが、実の所ペットがそんなに好きではない。

しかし猫ラブ100%♡みたいな人間ではない人の方が楽しめる本だった。

 

なんてったって死にかけの猫が夫婦の家の前に捨てられていてそれを何度捨ててもよろよろと帰ってくるという話から始まるからだ。

小さな命をどう扱っていいかわからなくて自分自身が悪者にならない範囲で排除する描写はなんとも痛々しい。ここで何度も捨てられる猫に対して同情していないのはわたしも小さな命をどう扱っていいかわからない側の人間だからだ。今のまま老いていくとわからないもの全てを排除しようとするヤベェ奴になりかねんなとも思っている。

だからその、包み隠さず言えばいわゆる「公園の騒音を通報するジジババ」などへの教科書としてもかなり優れている。そういう導入だ。

 

そこから

・饐えた臭いのする無作法な近所の子

酒鬼薔薇に酔ってそうな厨二病

などが関わって来つつも猫はだんだんと肥えて育ち、そして骨が出て老いていく。

いくつか分けられた話の中で猫はあくまでチョイ役だったりどっしりと存在していたりいい所だけかっさらっていくなど気ままで出番すら猫らしい。

 

あとこの作品の良さは善人がいないところだなとも思う。

フィクションだから100%の善があってもいいだろうに、みんな身勝手で猫さえもとんでもないやらかしをしている。そして登場人物らが犯している罪のほとんどが裁かれることもない。なんかそういうのもリアリティあるよね。

 

そんなこんなで最終章では老いた猫との関わりの辛さが描かれる。猫が腎臓を患ってしまい治療することはもう出来なくて辛い延命をさせるか、老衰を待つか、それともいっそ安楽死をさせるか。

仕方ないことなんだろうけどもどの選択肢にも飼い主の「今死なれると自分が辛いから生きててほしい」とか「衰弱するのを見るのが辛いから無理やり餌をやる」とか「見ていると辛いから安楽死させたい」とかエゴが見える。

結構人ってペットに対してそういう振る舞いしがちだよね。

 

まあそんなかんじで猫とその周りの現実的な範囲の歪みをもった人々のお話でした。

このやや歪んだかんじ、「向日葵の咲かない夏」に似てるなっていうかんじがします。あれも一応猫出てくるし。はい。まあ。そういうかんじです。