長野まゆみの「夜啼く鳥は夢を見た」を読んだ

予定がなくなったため、積読を崩すべく長野まゆみの「夜啼く鳥は夢を見た」を読んでいる。

買う本を選ぶ時にぱらぱらめくってその中で使われている語彙が好きかどうかで選ぶ時と、物語の最初と最後の3行のまとめ方が好きかどうかで選ぶ時があるのだが長野まゆみの小説は前者である。

例えば「夜啼く鳥は夢を見た」は1993年に出た本なんだけれど「沼に潜るのが気持ちいゝのか」とか「円卓(テーブル)の上の洋燈(ランプ)を引き寄せた」とか意識して古臭く耽美な言い回しを選んでいる。そこが良い。

とはいえ積読の棚の中でこの作品は相当ベテラン勢になってしまってページ端にヤケができてしまってこんがりしているが、そこもまた物語に味わいを加えているなと思う。

 

さて、読んでみるとこの本は前述の通り難しい言い回しをするくせに詩や短歌かのように文字と文字の間が空いていてとても読みやすい。

あとこの物語に出てくる「鳥」は「人」に違いないのだが、寝た時の夢に出てくるような「まずわたしは鳥なんだけど鳥じゃなくて人で…」みたいなアレ、あの感覚に近い。だから時々「あれ?鳥だっけ人だっけ?」と思いながら読み直す。その、なんというか生物としての境界の曖昧さが幻想的だなと思う。風邪なんかで熱にうなされて夢を見た時に一瞬素晴らしい世界に行ったみたいなそういうかんじ。

ストーリーの対比も良い。人間は大体「生きたいな〜」と思ってる時期と「死にたいな〜」と思ってる時期がどうしてもあると思うんだけど、それを夏という舞台を使って「喉が渇いたので水を飲む」「盆の蜜柑を食べる」という風に綺麗な水を摂取しようとする描写で心が生に向いてるのをあらわしたりだとか、「泥の中はひんやりとして気持ちがいい」と死に対する抗えない関心を汚い泥水に沈む感覚であらわすだとかそういうものが見事だ。

 

最後に蛇足にはなるが、物語をカテゴライズするなら宝石の国にとても近いと思った。

どうしても他人に本を薦める機会があるのでそういう時の為に何に近いか考えてみたが星の王子さまよりも銀河鉄道の夜よりも身近な感覚でありながら、最後は読者の手からも離れていく。そういう物語だった。