トイレットペーパーを持ち帰る時の惨めな気持ちなんなの?

生活の変なところでバグみたいな感情が芽生えることがある。

 

例えば女性物の下着はそのほとんどが手洗いを推奨されているのだが、いざ手洗いをやろうとするとなぜかめちゃくちゃ惨めな気持ちになるのでやらない。なぜ惨めになるのか理由は全く不明だ。

だからネットに入れて洗濯機に放り込んでいるのだけど確実に製品としての寿命は縮まっているだろうなとは思う。どっちみち絢爛豪華な下着を購入して披露する機会はないので洗濯機でヨレヨレになった安価な下着を着用し続けるだろう。

 

あと、理解され難いのであまり周りには話していないが歯磨きの音とシーンが嫌いだ。これも理由がわからない。

友達と旅行に行って同じ宿に泊まることも結構あるのだが、たかがその1回に気を遣わせるのもなあと思ってかなり死ぬほど頑張って我慢している。我慢具合と嫌悪感は高所恐怖症とかのヒィとなるやつに近いかもしれない。とにかく逃げ出したくて身体がソワソワする。

そういう時は大抵YouTubeでイヤホンをして動画を見ることでやり過ごしているが、その状況が不自然になりそうな場面であれば無理やり気をそらしている。しかし厄介なことにこの強烈な嫌悪は2次元であるか3次元であるかを区別しないためテレビに映る歯磨き粉のCMであったり、アニメの朝の描写で登場する歯磨きのシーンにおいても同等のヒィを感じるのだ。ブラクラですよ、あれらは。

実は自分の歯磨きでも「歯磨きをしています!」と知覚することでヒィが起きるため水の音で誤魔化したり、その日にすることを考えてお茶を濁している。

知覚したらどうなるんだろうとぼんやり思って歯磨きのライブ感を体感してみたらリアルに吐いた。もし1000万くらいでどうにか歯を磨かなくていいことになるのであれば結構真剣にローンを組むことを検討するレベルだ(出来れば3割負担か高額医療制度のお世話になりたいところだが)。

 

それと、理解されやすいものとしてはトイレットペーパーを買って帰るまでの道すがらが惨めなので誰ともすれ違いたくないというものがある。

これはある程度理由らしい理由があって「あっ、あの人結構ケツ拭くんだ」とか「ガサガサの紙でケツ拭いてんだな」と思われたくないというのが主な理由だ。

高いトイレットペーパー買ったとしても多分持ち帰っている間に「結構良い紙でケツ拭きたいと思ってるんだ」と思われてそうで嫌だな。自分が今まですれ違ってきたトイレットペーパーを持ち運ぶ人に対してそんなこと思ったことないので自意識過剰であることはわかるが。

そんなこと気にするならレンチンご飯と惣菜などを買って持ち帰る時に「あの人自炊しないんだ」とか思われてるぞ、という話でもある。それは全然大丈夫だな。その他生理用品や下着を持ち帰る時もそんなに思うことはない。なにが違うんだろう。

 

あ、しかし。下着屋の紙袋を持ち歩く時もやや思うところはある。

あの人あの店の下着着てんだ、と思われるの嫌じゃない???服屋の中の下着コーナーなどで購入すれば別に服屋の紙袋に入れられるから良いんだけど下着屋は下着しか売ってないのだから「今!!!わたしは!!!新しい下着を買いました!!!!!しかもこの店で!!!!!!」という感が満載だ。

高い下着屋でも安い下着屋でもそれが見えること自体が嫌なので、購入したら近くのトイレに行って自分のバッグにどうにか押し込む。

ちなみに前述の通り生理用品はこの限りではない。なんなんだろうなこれは。

 

このような感情についてどうして起きているのか自分の中で深掘りするものの明確な理由が見当たらず、結局感情のバグだなあと思い終了する。

トラウマとまではいかないけどこういう感情の変わったバグってみんなありそうだよね。自分のバグも気になるけど他人のバグもやや気になるなと思った。