夜の海はてらてらと水面を揺らし、その底を見せない。
わたしは今日ここに来ると決めていた訳じゃない。
きらびやかなドレスをまとってアルコールを飲めば金が手に入る店でぐちゃぐちゃになるまで飲んで、どうしようもない気持ちのまま本来1kmも歩けなさそうな見た目のヒールで、くらくらしながらも砂の上に立っている。
「昔ね、金魚すくいというのをやりたくて飼えもしないのに金魚を取ってしまったことがあるの。」とわたしは言う。
「まあ誰だってきっとそういうことは一度や二度あるだろう」あなたはつまらなそうに答える。
「わたしの心の中にその屋台で取った金魚がずっといるの。」
金魚を何度も何度も握り潰そうとしては殺し損ねた。
握ろうとすると指の先に力が入らなくてそれでも握りしめようとしたときのグミのような感覚がずっと手に残っている。どうしてもそれが忘れられない。
「その金魚は真っ赤に黒いぶちがついたひょろひょろのかわいくないやつでね、それを家でしばらく飼ってて…」と掠れた声でわたしは言った。
「それで?」
「それで…どうしたんだっけ、」
「なぁんだ、覚えてないんだ。
その程度だったんですね。」とあなたは生あくびをした。
ちがう、
(何が違うというのか)
(餌の缶の柄を覚えているか)
(ちぎれかけた尾の形を)
(揺れる水草の名前を)
()
()
頭の中がうるさい
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
堰き止められなくなってなるべく感情が出ないように声に出す。
「あのね、食べたんだよ、金魚。
学校でプールのテストがあって」
「それで、泳げないのわたしだけで」
「食べたら金魚になれると思って」
「結局お腹壊して授業出られなかったんだけど
わたしはね、
あの時、金魚になれたって信じてる」
「だからね、」
そういって墨汁を流したような黒い海に落ちていった。
後になって浮かんできたのは泥のついた傷だらけのハイヒールだけだった。